ロジック(=短期、確信)だけでなく、アート(=長期、夢)も必要である
ここ最近の仕事は、短期目線で何か手を打つことが多いです。こういう時こそ、楽しめる要素を見出すこと、何か面白いと思えることにチャレンジすること、重要だと感じます。
本日”超相対性理論”というポッドキャストを知り、第一回の内容聞き、学びがありました。
一部内容を抜粋します。※ちょっと自分の解釈混じりです、すみません
基本的に人間は、短期で利益に繋がりやすい事に投資する。それが安心感に繋がる。一方、利益に繋がる確信は無いが、将来的に大きな豊かさを生んだり、面白い世界をつくれることには投資しにくい。実は、数字では説明できない事から、重大な発明が生まれる事の方が多いのに。
これを”ロジック(=短期、確信)だけでなく、アート(=長期、夢)も必要である”と表現していました。
たしかに、先日読んだ本にも「電球・蓄音機・半導体などは、発明された当時、どういう目的で使ったら良いか誰も分からなかった」という記載がありました。面白い仮説検証をしていたら、いつの間にか新しいものができ、その後に人々のニーズが満たされていったということ。つまり、よく言われている”必要は発明の母”は誤りで、”発明は必要の母”のケースが多いということが言えます。
仕事の話に戻ります。
短期でインパクトが見えることはもちろん行います。それがつまらないわけでもない。ただ、短期だけにとらわれず、自分なりに面白いと思える仮説検証を同時進行で行うことも大事。その仮説検証が、結果として将来の大きな利益を生むかもしれません。
加えて感じるのは、何か面白さを見出せる仕事をしているときは、自分自身の幸福度が上がっているということ。そういうタイミングの方が、自分も仲間も大切にできる。余裕が生まれる。それが短期の打ち手に力が入ることにも繋がります。
ロジックだけじゃなくアートも大事。業務外で学び、思考を巡らせ、面白い仕事もやっていきたいと思います。
自分・他者と向き合う 〜21Lessonsを読んで〜
お盆の期間で21Lessonsを読みました。本当にそうか?と思う内容も多いですが、未来を考えるヒントになりましたし、その思考プロセス自体がすごく勉強になりました。
印象に残ったのは、ありのままに自分と他者を見つめることの重要性について。その手法の一つが瞑想ということで、著者は激押ししてました。その結論に至る思考プロセスも面白かったです。
①人間は物語を信じることで生き残り、繁栄してきた。だから良くも悪くも、物語を信じ、疑う事は難しい。
②ただ、グローバル化が、物語は虚構にすぎないことを明確にした。宗教が代表例。特に一神教において、宗教Aの世界の成り立ちを信じると、宗教Bの理論と矛盾が生じるようなことが起こる。それが無駄な争いを生んでいる現状すらある。
③だからこそ、世の中に生まれた概念が虚構である場合、人間はそれを自覚をすべき。そうでないと無駄な論争が生まれる。さらには、テクノロジーが物語をつくり、人間の感情さえもコントロールするようになってしまいかねない。最悪の場合、人間がAIの奴隷のようになる。
④そこで必要になるのが、人間が物事そのものを直視すること。虚構を虚構に過ぎないと認識し、惑わされないため、自分の感覚を研ぎ澄ます。それが、テクノロジーが人間を支配するのではなく、人間がテクノロジーをうまく活用する未来に繋がる。瞑想は、その感覚を研ぎ澄ます手段の一つ。
ザックリこんな流れだと解釈しました。
また、本書で紹介されているイスラエルのユダヤ教の例は、ありのままに物事を見つめる重要性を理解する上で、超参考になる例だと感じます。
イスラエルのユダヤ教の男性は衣食住を国に保証されながら、ユダヤ教に向き合い、議論することができる。おそらく自分・他者と向き合う時間も長いのだと思います。だからこそ、起業大国になっている。
実績としては、、
・1600人に1人が起業家。
・国民一人当たりのユニコーン企業輩出率が世界一。
・1人当たりのベンチャーキャピタル資金獲得額が世界一。
というような感じです。
要因はおそらくこれだけではなく、ユダヤ教自体のビジネスにおける考え方、地政学リスクなどもあるように思います。
ただ、思考時間を確保できることは、前述した実績の要因の一つであることには違いないと感じました。本質と向き合うことで、正義感が生まれることと思います。また虚構が虚構であることを理解することで、挑戦する勇気が湧いてくる感覚も、なんとなく分かる。世間体とか、どうでもよくなるのでしょう。
AIや物語が、敵なわけではありません。うまく活用するため、組織として、そして私自身も、自分と他者そのものと向き合う時間をしっかりつくっていこうと思えます。
※イスラエルの特徴はこの動画で分かります
https://www.youtube.com/watch?v=0JPYQY4--oo
※21Lessonsはこちら
リスキリングについて思う
ここのところ、リスキリングの取り組みでは、しばしばプログラミングなどのテクニカルなスキルを磨くことに重きを置いていることが多い印象がある。大事ではあるが、もっと大事なことがあると思う。
それは変化にすぐに対応できるだけの力を付けること。
きっと近い将来、今リスキリングで学んでいるテクニカルなスキルは陳腐化される部分が多いと思う。そして必要なテクニカルなスキルは移り変わっていく。それが加速する。
となると必要なのは、常に"今"学ぶべきスキルを身につけられる、そのための素養となる力、であるはず。
具体的には、要点を掴むこと、パターン化することを通じて変化に順応できるポータブルなスキル、考え方。
なので人事は、目先のリスキリングのような事に惑わされることなく、人を採用することが最も重要だと思う。
よくある「今いる社員をどうするかが大事だから採用は後回しにしてる」は大間違い。採用を後回しにする理由にはならない。忙しいなら人事アシスタント雇えば良い。
それができなければ、どんどん採用難易度が上がり到達されるだけ。
揺さぶる。中心は理解しておく。
為末大さんの陸上競技に関する考え方が、相当ビジネスに活かせるなと思えたので、自分なりの解釈入れつつ、学びになった所を記載します。
※参考動画
前提、為末さんの種目は陸上のハードル競技。走る、ハードルを飛ぶ。凄くシンプル。なので突き詰めていくと、プロセスが固定化してきて、これ以上の成果を出しにくい状態がやって来るそう。
その後、更に成長するためには"揺さぶる"必要が出てくる。つまり、ちょっとやり方を変えるということ。
具体的には、フォームを少しだけ崩してみたり、筋トレの中で強化する場所の比重を変えてみたり。
その上で、揺さぶって伸びる人にはどんな特徴があるか。
それは"自分の中心が分かっている"ということだそう。つまり、今成果が出ている要因となる部分、変えてはいけない特徴が分かっていると、もう一歩成長できるのだと思う。
これは仕事も全く同じ。
いかに素晴らしいストーリーを描き、その通り実行したとしても、いつかは天井が来る。なので、今までと違うやり方を模索する、つまり揺さぶる必要がでてくる。
そしてやはり、中心を理解することが大事になる。ビジネスにおける中心は"変えてはいけない部分"かと。具体化には、価値観や文化、絶対に外してはならないKPIなど。
揺さぶる。中心は理解しておく。学びになります。
”自分の幸せ”と”自分以外の幸せ”について、同時に思考しておく
仕事を進める中で感じる事。
”自分の幸せ”と”自分以外の幸せ”について、同時に思考しておくと良いのではないか、という話です。
よく就職活動の面接などで、きれいな人生の目的を語る方がいるじゃないですか。
それが悪いことではないですが、いくら”自分以外の幸せ”を綺麗に語ろうと、それが”自分の幸せ”に真に紐づいていないと行動にはつながらないということが言いたいわけです。
繰り返しますが、綺麗に”自分以外の幸せ”を思考すること、語ることが全く悪いことではないのですが、同時に”自分の幸せ”についても考えている方が、自分の綺麗な部分も汚い部分も認知でき、人間性向上に近づくはずです。
私も勉強中ですが、思考し続けることで、いつしか自分と他者の幸せがイコールであることに気づくのだと思います。
未来を読むことと、今に集中すること
日経新聞に興味深い記事がありました。
非財務の価値:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO68814820X20C23A2DTA000/
おそらく言いたいことは最後の一文。「不確実性に翻弄されるのではなく、自ら未来を先読みするしたたかな戦略が必要」という部分。「”未来は不確実なものだから予測しようがない”という言い訳はやめよう」とも聞こえる。
共感はします。ただ、未来予測をしっかり行うスタンスは、経営における重要事項の1つでしかないとも感じます。
この記事の前半では触れていますが、今後何が起きるかはどこまで行っても結局はわかりません。だからこそ、その状況・瞬間でどう対応するかに集中することも、同時に必要かと。
個人でも組織でも、未来予測はもちろん行うが、予測した通りにはならない前提を理解し、予測した未来や外部環境に精神的に頼ってしまうことは避けなければなりません。
結局コントロールできるのは自分だけ。こう捉えることが本当に自責であるということなのだと思います。
「日本企業」という集合名詞は、現代においては意味がない
ストーリーとしての競争戦略でおなじみの楠木健さんが、一貫して語っていることです。先日もNewspicksの番組で話題に上がっていました。非常に納得しましたので記載します。
要するに「日本企業」という集合名詞を使う日本人のスタンスが良くない、という話です。
理由は、本来大事である戦略の「個別性」を阻害するから。「日本企業」と言ってしまうと、競争戦略において重要である「競争相手に対して違いを作ること」に目がいかなくなってしまうことになります。それでは思考停止していることと変わらないということです。
また、こういう集合名詞を使うときは、他責思考になっている場合が多いとも言えるとのこと。たしかに「日本企業は保守的だ」「日本企業は世界では通用しない」など、メディアでよく聞く話ですね。こういう話よりも重要なのは、一人ひとりが当事者として、可能性を模索することであるはずです。
「日本企業」に限らず、集合名詞を使って批判するのは簡単ですが、それは当事者意識の欠如による思考停止。
世の中をより良くするために、当事者として自分の置かれた領域において、戦略を思考し続けることの重要性に気づける話です。